昭和42年04月09日 朝の御理解



 昨夜、青年会の例会がございましたが、もうこちらの会が済んでからでございましたから、もう十二時もたったと思いますが。皆さん帰ろうとしておる時に、椛目から二人連れで参って見えられました方がございました。時々まあお参りされる方でございますが、ある、火急のお願いの為に参って見えたんです。それか裏に寄って頂いてから、お茶でもあげさせて貰うて、まあ昔話しなど話し込んでおりましたから 。
 私も休む時は二時半でございました。その話の中にですとにかく先生、段々人間ちゅうもんな、歳とって行きゃあ歳とって行くほど、心配は増えるもんですねと云う話しが出ました。そうですかと云うてまぁ話し聞いたんですけれども。結局若い時には左程に心配もしなかったんです、まあ飲み代どんが足らんという様な事が心配じゃったけれども。段々歳をとってからすると、第一子供の心配をせんならんだけではない。
 今度は孫の心配までせにゃならん。娘婿の心配までしてやらんならんとまあ云う訳です。成る程歳を取れば取るほど心配が多うなると云うのも、本当にそうだなあとこう思いました。けれどもそこに信心を頂かせて頂くものは、段々歳を取れば取るほどに、位が付くと仰る様に、信心をすればするほどに有難うならして貰い、愈々勿体無いという生活に入らして頂くのが信心なんです。
 もし信心頂いておっても歳を取れば取る程、心配が増えるというのなら是はおかしい。本当の信心じゃない訳なんです。これは昨夜の青年会の方達が頂きましたその御理解でございましたが。みんながこうやって合楽合楽と云うて、まあ福岡当りの遠隔地からまでも、昨日も沢山集まっておりましたが、沢山集まって信心の共励を致します。こうして合楽通いをさせて頂いておるという事、
 やはり一つの楽しみであり喜びであるわけなんです。それがそのどう云う事の為に、みんながお参りをしておるかと云うと、私はその事をお神様にお礼を申さして貰いよりましたらお広前の向こうに、犬走りと云うのが出来てますですね。犬走りに小さいバラスが入っとります小さい石が沢山。そしてこの天地書附の石庭の前の、犬走りの所にはやっぱり石が入ってますけれども、丸い石が入れてございます。
 その両方を頂くんですよね。だけどどちらも小石は小石なんです。だから青年会の皆さんが、こうやって構えて見えてから合楽合楽というて見えるのは、確かに椛目に神様慕わしと云うかお広前恋しと云うか、そういうなんとはなしに、そう云う様な慕わしい心と云うものが頂けておるという事は、有り難い事なんだけれど。その小石と云うても丁度こちら側の小石のバラスの様に、まあだこうバラスですから。
 角ばっかりのものではなかろうか。だからこれが段々段々云うなら角が取れて、いわゆるこちらの庭石の犬走りの石の様に、まん丸うなっていくおかげを頂かして貰わなければ。歳を取るにしたがって、段々おかげを蒙らして貰う。そしてその椛目通いがです。本当に、どこを見てもここを見ても、何を思うてもこれを思うても、有り難い事ではあるな、この様なおかげを頂いて勿体無い事ではあるなあと。
 その有難い勿体ないというその心が、椛目通いではない合楽通いをさして貰はなければ居られないという、お礼参りをさして貰わなければ居られないと云う様な、おかげを頂く為の今基礎を作っているんだという御理解を頂きました。皆さんとてもだから同じ事が云えるんじゃないかこう思うのですよ。こうやって朝参りでも出来られる時には中々、このお湿りの中をお参りしてくるという、若い時でなからにゃ出来ません。
 そこにはですまあだいわば有難うしてならん、勿体無うしてたまらんから、椛目通いをして合楽通いをしておると云うよりも、やはりお願い参りの方が多いくらいでございましょうけれども。そのお願い参りでもお参りさせて頂いておるうちにです。確かに合楽が慕わしいものになって来る。なんとはなしにここが慕わしいものになって来る。しかもこの様なおかげを頂いて。」
 あれを思いこれを思いして思うて行けば、思うて居る程いく程にあれを見、これを見すれば見るほどにです。おかげを頂かせて頂いておる事を思うと、家にはじっとしてはおられんというのがです。お礼参いりにならして貰い、椛目にひたらせて頂けれる様なおかげの頂ける、その基礎を土台を、今作っておるんだという御理解を頂いてですね。青年会の方達が確かにそうだなあとこう思うのです。
 お家に今朝この様なお湿りがあっております。今日は皆さん集まって今度の大祭、落成式のいわば予行演習的なもう受け付けから、お祭りから落成式からその式を一辺通りして見て、いわば後のご直会のだんになるお世話の御用御用のその事を一辺やってみて。自分がどういう立場にあるどう云う役をせんならん。それにはスムーズなおかげを頂くためにというので、今日は皆さんが集われるわけなんでございます。
 ですから私今日のお湿りの音を聞かして頂きながら、今日、おかげ頂きまして有難うございます。たとえば勇さんと敏郎さんあたりが、みんな集まって見えられるのに、しかも今日は夫婦または親子で来なければなりません。それぞれの役をみんなが持っておりますから。それにお天気がようてあったら、矢張りその畑にも出らなきゃならん、あれもこれもと他に用がある。
 お湿りであれば、心置きなく出て来れるであろうと思うたら、その事がなんとはなしに有り難かった。今日のお湿りのあってる事が有り難かったという様にですね。その有り難い面がどの様な場合にもあるんですよ。降っても有り難い照っても有り難いというのがです。降って有り難い照って有り難いというもんがあるから、お礼心が出てくるんですけれども。
 昨夜私遅う会の方達が参って来てから話されるのは、その方達がやっぱりそれぞれの財産持ちでありますから。そんなに心配があろうとは思われないのだけれども、言われる様に、人間ていうものは歳を取れば取るほどに、取っていけば取っていくほどに心配と云うものは増えるもんだなあとこう言う。若い時には飲み代に心配する様なこっじゃったけれども。さあ嫁ご貰うて子供が出来ると、もうそこに心配が出来る。
 こうやってまともな年配になると、今度はもう娘が嫁入ると娘だけのこっちゃ無い、娘婿の事まで心配せにゃならん。さあ子供が出来ると今度はもう孫の心配までせにゃならん。もう心配ばぁかりという事になる。確かに私は信心の無い人達は、歳を取れば取るほどに心配が増えて来る。自分に力がなくなって来る。さあ先はどうなるじゃろうかという様な心配までが起こって来る。
 それとは反対に信心をさせて頂いておる者はです。信心をさせて頂けば頂くほどに、歳を取っていけば取っていくほどにです、有難うならして頂く勿体無い有り難いと云う生活が、愈々本当なものになっていかなければならない。それには現在通うて居る合楽通いがです。もっともっと垢抜けした合楽通い。云うならばお願い参りからお礼参りの出来れるおかげを、事実自分の上に身の上に頂いて受けていかなければならない。
 あれを思うてもこれを思うても、有り難い事ではあるなと云うおかげを頂かして貰う。そこにです青年会の方達は、昨日昨夜頂いたおかげを頂かして貰う。そんならそう云う様なほんなら現在椛目通いもです。楽しゅうまあ青年会の方達も、みんな楽しゅう集うて来る訳でございますけれども。それが段々段々垢抜けして行くとか角が取れて行くというか。そしてこちらの庭石の方の犬走りの石の様に、丸ぁるい小石。
 合楽が慕わしうて、恋しゅうて堪らんと言う様に、なって行く様なおかげを頂くという事であると、こう思うたんですけれども。ほんならその内容としてです、ほんならこうしてここ通いをしております、合楽通いをしております。その内容と又それを持って帰っての信心生活と云うのは、どこに焦点を置くかという事になりますとですね。結局自然に起きて来る一切の事。
 成り行きの中にある所の一切の云うならば出来事と云った様なものをです。そういう対決なんです、自然に起きてくる事との対決において、それに打ち勝って行く所の稽古をしていって、始めて、歳を取れば取るほどに、有難うなってくるんだという結論を頂きました。只通うておるだけじゃ駄目です。もう日々的な信心生活の中にです、起きて来る様々な問題でも、様々なあり方においてもです。
 その問題とほんとに対決して、難儀な問題であっても、それを本気に忠実にです、まじめに取り組んでです、人に頼むのじゃない、どこに頼むのじゃない、神様一本にお縋がりさせて頂いて、その難儀な問題と思いよったその難儀な問題のおかげでです。こう云う事が判らして頂いた、こういうおかげを頂いたという答えをだして行くという様な信心からしか、歳を取っていけば取っていくほどに。
 有難うなって行くという信心には、おかげにはならないという御理解でございました。段々、歳を取れば取るほどに、ぐちっぽくなって来ると云う様な事では、あなたの信心は、本当の線に添うての信心では無いという事になります。参る事は参りよるばってん、一向おかげも頂ききらんと云った様なです。その、ぐちっぽい信心では、今日、私が申します様なところは頂けないと思うですね。
 起きて来るその問題と、本気に対決して、しかも、それに、いつも打ち勝っていけれるという事は、有り難いと云う答えを出していくおかげを頂いていく様な信心の稽古を日々、させて頂いて、始めて、椛目通い、必ず椛目通いと言うが、合楽通いがです。楽しうなって来る。いわゆる、若い時に、例えて云うならば、お願い参りの信心が、歳をとってくれば来るほどに、お礼参りの信心として、しかもそれが。
 合楽が、慕わしうして、慕わしうてたまらん、お広前に居らして頂けばです、慕わして頂いておるこ事が有り難いと云う様なおかげを頂くために、現在の信心の基礎と言うものをしっかり作っておかなければならないという、青年会に対する御理解を頂いてから。いや、ここに現在お参りしておる、みんなの人が、はあー今晩の御理解頂かねばならないなあと、私、昨夜、思うたんです。
   どうぞ。